「男と女」  「ねぇ、藤次郎」  「何?」  週末いつものように、藤次郎は玉珠と自分のアパートの部屋で二人でお酒を飲んでいた。  「男と女って、どっちが頭いいと思う?」  どうやら、玉珠は本棚からいわゆる「男脳女脳」の本のタイトルを見て言っているらし かった。  「うーーーん」 と、藤次郎は考え込んで  「考え方が基本的に違うから、どちらもある部分で比較すると差があるのかもしれない けど、人類と言う種としては総合的に同じだと思う」 と答えたが、  「答えになってないわ」 と、玉珠はあっさりと否定した。  「…難しいな」  頭を掻きながら考え込む藤次郎を見て、玉珠は頬杖をついて藤次郎の顔を覗き込みなが ら、  「例えば?」 と言って、首をかしげた。  「大まかなことを把握したり、計画を立てたりするのには、男の方が頭がいいと思う。 例えば、仕事の全体的なスケジュールとかシステム構成の把握とか…でも、部分部分の細 かいことには目が回らない。その点、女の方は細やかな部分によく気が付いて、例えば仕 事の細かい部分のチェックとか、その日のスケジュールの配慮とか…戦略と戦術の違いと いうか…」  藤次郎は身振り手振りを交えて言うが、  「もっと、具体的に言って」  玉珠は、不服そうに言った。藤次郎は益々困った顔になって、  「んーー、料理だと俺が作れば、塩加減なんか大雑把か、あるいは料理のレシピに忠実 な調味料の使い方をするけど、お玉だとその日の体調を考えた絶妙な味を出せるだろう… おかげさまで、こうして美味しいお玉の手料理が食べられるわけだ」 と言って、藤次郎は玉珠が作ってくれた酒の肴を示した。  「うふふ…ありがとう」  玉珠は得意げな顔をした。  「それが、いいのか悪いのかは解らない。お玉が作った料理が他人には美味しくないか もしれないし」 と、藤次郎が言葉を続けると、  「まぁ!」  玉珠はむくれた。  「…いや、俺とお玉が同じ物を作って両方を比較したときの場合。たまたまその人が俺 の作った方の味がその人に好みに合っていれば、俺の方が美味しいと感じるだろうし、俺 はお玉の作った方が美味しいと感じるし…」  「…そうね」  玉珠は相づちを打ちつつも、むくれていた。  「料理人に男の人が多いのは、細かいことを考えずに自分の味を出すから、料理人の料 理に自分の舌を合わせようと、お客が来るのだと思う。これが女性だと、細かい気遣いが 多くなるので、却って料理人としての神経が持たないのではないのかなぁ…と俺は勝手に 思っているのだけれども…」 と、言いながら藤次郎は自分の発言に収集がつかなくなっていった。そんな藤次郎をしら けた目で見ながら、玉珠は  「ふーーーん」 と、ため息ともつかない返事をした。  「…でも、人類という生物として一括りにして考えると、結局同じだと思うのだけど… やはり、雄と雌が共同して生きていかないとダメなんだと思うよ」 と、藤次郎は苦笑いしながら言った。  「…そうね」  玉珠は分かったような分からないような返事をした。多分分かろうとも思わなかったの だが、藤次郎が『男と女が共同しないと成り立たない』と言ったと思い、そう納得した上 での返事をした。  それでもまだ玉珠の不服そうな顔を見て、藤次郎は何を言っても「自分より玉珠の方が 頭がいいと言わなければ納得してくれないだろうな…」と思い、  「単純に俺と玉珠とを比較したら、力では勝つだろうけど、残りはやっぱり、お玉には かなわないだろうなぁ…」 と、藤次郎がぼやくように言うと、  「ふふっ」  玉珠は、素直に喜んだ。  そのまま玉珠は、藤次郎の部屋に泊まった。  翌朝、玉珠は藤次郎にカマを掛けようと思い、最近テレビで見た浮気判断を使おうと思 い、朝食を食べながら  「ねぇ、藤次郎」  「何?」  「昨日の晩、寝言で女の人の名前を言っていたけど、誰?」 と玉珠が妖しい目つきで訪ねた瞬間、藤次郎の手は止まった。  「寝言?」  胡散臭そうに聞く藤次郎に、  「うん」  「さぁて、夢は見たような見なかったような…」  藤次郎は首を傾げた。  「はっきり、言っていたわよ!」 と、攻める口調で言う玉珠に対して、  「うーーん。なんて言った?」 と言う藤次郎に、今度は玉珠が詰まった。  「えっ、えーーと、景子とか、幸子とか」  玉珠は、適当に身近な女性の名前を言ってしまった。  「え゛?」  「だからぁ、『景子とか、幸子とか』…」 と、押し切る玉珠に藤次郎は「もしかしたら…」と思いつつも、  「会社の夢でも見たかなぁ…そう言えば、以前、夢でプログラムリストを見ていたら、 バグを見つけて、翌日会社に行ってそのプログラムを見たら、夢で見た箇所にバグが見つ かって驚いたことがある」 と言った藤次郎に、  「あら、私なんかしょっちゅうよ」  玉珠は当然と言った顔をした。それを聞いて藤次郎は納得したように、  「…だから、以前寝言でプログラムのコードを延々と読んでいた事があるんだ」 と、言った。  「え゛っ」  今度は玉珠が驚いた。そのまま藤次郎は続けて、  「いっやぁ、驚いた。別の日なんて、誰かとプログラミング理論について延々と論議し ているものなぁ…」  「ほんとに?」  玉珠がテーブルに身を乗り出した。  「うん、俺が『お玉、昼飯食いに行くぞ』と言ったら、『はーい』と言ってピタリと止 まったけど」 と聞いた途端、玉珠の顔が赤くなった。藤次郎は内心「しめしめ、うまく誤魔化せた」と 思った。でも、次の瞬間、  「…でも、今まで幸子さんは『幸子』と呼んだことないのだけど、それに上杉君も『景 子』とは呼ばずに『上杉君』なんだけどなぁ…」  「まっ、まあいいじゃない!」 と、玉珠は慌てて誤魔化した。  そのとき、電話がかかってきた。  玉珠はなんとか取り繕おうと、自ら電話に応対した。  「はい、萩原です」  電話の相手は一瞬、戸惑ったが  「宗像です。ご主人はいらっしゃいますか?」 と少し嫌味が入った言い方をした。相手は藤次郎の上司の宗像幸子であった。  「…やだぁ、ご主人なんて…」 と照れ笑いした玉珠であったが、電話の相手に少し警戒心を示した。そして藤次郎に向か って、  「藤次郎、宗像係長から」 と、いつもなら「幸子さんから電話」と言うのを、わざとらしくこう言って受話器を藤次 郎に渡した。  「はい、変わりました萩原です…ハイ…ハイ…」  電話に応対する藤次郎を見ながら、玉珠は次第に不満になった。そして、  「お玉、会社で機材がトラブッた!すまんが、これから会社に行かないと…」 と言って、その場で慌てて会社に行く支度を始めた藤次郎の後ろ姿を見て、玉珠は  「ねぇ、藤次郎」 とおもむろに声をかけた。  「何?」  支度を中断して振り返る藤次郎に対し、  「あたしと仕事、どっちが大事?」 と、玉珠は無理を承知ですがるように聞いた。藤次郎はその言葉にキョトンとして、  「無論、お玉…」  あっさりと、しかも自分の予想以上に玉珠を選んだ藤次郎に、玉珠はドキリとした。  …しかし、  「お玉が大事だけど、お玉とこうして遊んでいられるのも、会社から給料を貰っているから」 と言った藤次郎に対して「…ああっ、やっぱり…」と落ち込む玉珠であった。  「そうだ、お玉も一緒に行こう。こんな仕事とっとと片づけて、会社の近所で食事でもしよう」 と言った藤次郎に対して、  「…藤次郎…」 と言って、玉珠は頷いた。 藤次郎正秀